諏訪の神様に導かれて2

諏訪の酒造会社に寄って一升瓶を手に入れ、訪ねてみると、あちこちに人がいてものすごい活気だった。
どうして長野県諏訪市の古材屋さんに、これほど人が集まるのか。
しかも、若い女性がやたらと多い。
聞いてみれば、今日は本の出版記念の映画上映会だと言う。それで人がどんどん集まってくるのか。
スタッフの方も、女性が多い。
華南子さんのご紹介で、こんにちは、と順番にご挨拶してゆく。名前は覚えられない。
伊藤佳美さんの絵と、リビルディングセンターを、飯坂大さんが写真に撮った写真集は、想像を超えるクオリティーだった。
三つの才能が、がっちゃんこしていた。
購入した写真集の最後には、「アラーキーがキョンキョンの写真集を岡本太郎美術館で撮るみたいな」写真集が作りたい、と言って始まった話が書いてあった。
なぜキョンキョンなのかは分からないけど、なんとなく言いたいことは分かった。
しかし、そういう複数の才能の結晶が、こうして長野の田舎町で起こっていることが、衝撃的である。どうしたんだ、何が起こっているんだ。
誰かの故郷だというわけでもない。ゆかりのない人間が、寄せ集まって結晶を作る。何が起きているんだろう。
上映会が終わると、打ち上げに行きましょう、ということになった。
僕は宿も取らずにふらっと諏訪にやってきたので、少し心配していたんだけど、社宅の座敷に何人かと一緒に泊めてもらえることになった。
話を聞いていると、諏訪の人はいなくて、みんな、どこかから集まった人ばかり。
だけどそこに、地元の方や年配の方も訪れて、気さくに交流をされている。

映画は、アメリカのタイニーハウスに住む人々を取り上げた作品だった。いわゆる「小屋」である。アメリカでは、小屋が流行っているらしい。
住宅ローンを払うために、仕事を頑張るのではなくて、身の丈に合った家で、身の丈に合った生活をしよう、ということのようだ。

その発想は分からないでもないけど、そこで自分でトンテンカンテン、小屋を作ってしまうところがアメリカらしい。確かに、アメリカ人はなんでも自分で作っている感じがあった。ガレージとかでね。
そんなカルチャーが、日本風にアレンジされて、入ってきているのかな。

絵を描いている佳美さんは、冷蔵庫も洗濯機も持っていないらしい。上水の契約も要らないと気付いて解約しようとしたけど、下水とセットなので解約できなかった、と嘆いていた。
さらりとそんなことをいうので、ちょっと何を言っているのか最初分からなかった。

そういえば小屋を建てると、電気もガスも、上下水も、どうするか考えないといけないんだね。
何をつないで、何はつながないか。グリッドとオフグリッド。当たり前のつながりを、見直していく。
トレーラーのような大きさの家に住もうと思ったら、持ち物も10分の一くらいにしないといけない。何が本当に必要で、何は要らないのか。

映画を観ながら、否が応でも自分の暮らしのことを考えざるを得ない。自分が、本当に必要としているものって、なんだろう?
そんなことを考えながら、夜は更けていった。

2018.2.14